ADHDの診断

息子は超未熟児で生まれました。
何と1000gにも満たない体重です。


出産は、帝王切開で行われましたが、その際に息子の体にはいくつかの異変がありました。
いくつかは、子供の多くに見られるものですが、もう一つは・・・脳内の出血です。
そのせいで、「将来何らかの障碍が出る可能性がある」と言われながらも、今まで平穏無事に生活してきました。



幼稚園に入ると、いきなり息子の様子が豹変。
俗に言うADHDの症状がそのまま顕著に出始めたのです。


そりゃぁ家庭の中でも、手の掛からない子、育てやすい子だったかと言うと、そうではなかったです。
でも、初めての子育てであり、初めての男の子。
周囲からは「男の子ってそんなもんよ〜」と言う言葉しか返って来てはいませんでした。


そして、その豹変振りを幼稚園で自分の目で確かめた後、専門医の門をくぐる・・・
即日に出た診断が、極めて重度に近い中度のADHDと言う事でした。


帰りの電車の中では涙がこぼれてこぼれて、何をどうすれば良いのか。。。
途方に暮れて、いっそこの子を連れて死んでしまえたら。。とパパと3人で死のうか。。と話をした事もありました。


この子の、息子の将来にどんな苦難が待ってるのだろう、この子にどんな苦労をさせてしまうのだろうと思うと、産んだ私が悪かった。。この子を苦しめる為に私はこの子を産んだのだろうか。。と本当に苦しい日々を過ごしました。


実際に全てを受け止めるまでは、数か月かかり、そう言う今でもまだ完全に受け止められているのかと言うとそうではないのかも知れませんが、少しずつADHDである事で悩むと言うよりも、その対応策や先の事を考えるようになってきているように思います。


だって忙しいですもの。
超未熟児だった為に、入園を年中からに決め、初めて入園した幼稚園で退園を迫られ、次の幼稚園を探しに走り回り、市にかけあっても探せず、途方にくれながら療育センターに行っては涙する日々。。。


入園した幼稚園を辞めて次の幼稚園が見つかるまでのおおよそ半年間。
この間が私にとってはある意味一番幸せだったかなぁ。
この時期があったから、息子と二人向きあえて色んな事を話、色んな所に行き、二人の親子の絆をしっかりと結ぶ事も出来たと思っています。


そして、ようやく見つかった新しい幼稚園に入ると、そのADHDぶりに顔を上げて幼稚園の中では歩けない日々。。。
どうにか幼稚園も卒園に近づいてくると、今度は就学に備えて学校へ何度も足を運び。。


何と言うか、どっぷりと落ち込んでいる時間などなく、あれよあれよと言う間に今がある。。と言う感じです。


今、診断されたばかりで途方に暮れている方もおられると思います。
でも暗いトンネルはいつか終わりが来て、ふとある時、明るい日差しの中にいる自分に気付きます。


前を向いて。。一緒に頑張りましょう!!