乳児期のYuu

ADHDと診断されたYuu。
まぁ小さい頃から落ち着きはあるほうではなかったのですが、男の子だから?くらいの軽い考えでした。
でも、今考えると思い当たる事は・・・・・


そう言うYuuの幼児期を思い出してみます。


Yuuは超未熟児で生まれたせいもあって生後3ヶ月は病院のNICU・GCUで過ごしています。
自宅に帰って来たのは、既に生後3ヶ月。
ミルクも良く飲み、良く遊び、良く寝る子でした。


一人前に夜泣きはありましたが、我慢出来ないほどでもなく、誰にでもあるよね〜程度の物。
私が鈍感だったのでしょうか・・・・・


乳児期の頃は、さほど苦労したような覚えはないんですね。


部屋の中で音楽をかけ、私が台所に立つときは、視線がすぐに行くように、ベビーカーを部屋の中に持ち込み、台所の私の斜め後ろ辺りにYuuを乗せてちょこちょこと視線を合わせてはニッコリ♪


念願の男の子だった事もあって、出産してもすぐに手元に来なかった事もあって、ひたすら一緒にいれる時間が愛おしく、楽しい時間でもありました。

・寝返り・・・・・生後6ヶ月
・お座り・・・・・生後9ヶ月
・つかまり立ち・・・・・生後9ヶ月
・人見知りはほぼ皆無

超未熟児にしては、結構早めの成長でした。
身長が低く、体が小さい事を除いては・・・・



ところがある日・・・・大火傷!!


1歳半の頃でした。
夕飯の支度をしていた私。


お風呂に入ろうかと言う所で、Yuuの衣服を脱がせ、紙おむつ一枚にして私はトイレに。
お風呂とトイレは隣同士にあり、その隣には台所がありました。


「ぎゃー!!!」


トイレから出ようとした瞬間、台所ですごい叫び声。


トイレから出ると、コンロに置いてあった夜のクリームシチューの鍋をそのまま取っ手を握り、頭からかぶっていたYuuがそこに泣き叫びながら立ってました。


慌ててそのシチューをタオルでふき取り、バスタオルを体に巻きながら、シャワーでぬるま湯をかけてあげつつ、救急車を呼ぶ私。


自宅から少し離れた救急医療センターに運ばれ、Yuuはとりあえず一命を取り留め、心配されていた大火傷の皮膚移植も回避し、自然治癒しながら無事に退院してきました。


この頃からでしょうか、危険察知能力がないのか?と思い始めるようになったのは・・・。


まぁ、もちろん、台所の構造の問題もありましたが、Yuuの手の届く所に熱い鍋を置いていた私の親としての責任があるのは言うまでもありません。
こう言うのを今思えば・・・・注意欠陥部分と言うのでしょうか。




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